KYMCO

戦後の戦乱の後に登場したKYMCO

戦後、日本国内同様、台湾でも混乱した年がつづいていたのですが、その混乱も収束し興業立国になるために、経済発展に力を入れていた当時の台湾に登場した企業が光陽工業です。

1964年、二輪車の最高ブランドとして有名だった日本の本田技研工業と技術協力契約を結び、台湾向けにホンダのバイク同様の製品、製造、販売を開始しました。
この光陽工業のバイクは当時の台湾の中にあり、とにかく品質が高く一気に台湾全土に広がりを見せます。

光陽、もしくは光陽ホンダという名称で瞬く間に台湾を席巻し、多くのバイクが人気になっていきました。
台湾はバイク大国と呼ばれるほどに現在バイクが交通手段の主流となっていますが、ここにKYMCOの存在が影響しているというのは多くの方が感じていることです。

ホンダ創業者の本田氏の教えをしっかりと忠実に受け継いだことで、品質の高いバイクを作り続けた光陽工業は、その技術を世界に向けて発信しようと1992年、光陽工業Kwang Yang Motor CO.,ltd.の頭文字を使いKYMCOというブランドを立ち上げたのです。
ここから台湾、KYMCOの世界に向けての挑戦が始まりました。

顧客のニーズを満たす魅力的なバイク

KYMCOのバイクは顧客のニーズを満たすという心にあふれていると感じます。
プロダクトレンジは日本国内で販売されているスクーター以外、バイク、そのほか、ヨーロッパ、アメリカで農業機器として人気があるATV、更に都市部に向けて「足」となる電動アシスト自動車、さらには高齢者のシニアカーなどとにかく幅広い商品展開です。

常に顧客がほしいと思うバイク、機器を作りたいという気持ちを持って対応していることがこの商品展開からもよくわかります。

バイク、スクーター、更にはパーソナルモビリティ商品に発電機、ニーズのある機器なら喜んで造り、販売するという意気込みが身を結び、現在、主力商品となっている2輪車の年間販売台数は、50万台を超えています。

世界で愛されるKYMCOの製品

日本のホンダ、その心をついたKYMCOブランドの製品は現在、なんと97カ国以上の国で販売されています。
これらの製品はベトナム、台湾、中国などの工場で作られており、雇用を生み出すことにつながっています。

更に南米や東南アジアには技術を提供する協力工場としても製造が行われているのです。
ヨーロッパにおけるトップブランドといわれるようになったKYMCOは、スクーターとATV商品について、トップクラスといわれる記録を出しているのです。

魅力は優れた品質、顧客のニーズにこたえる幅広い商品数ですが、これからもKYMCOはホンダ創業者の心を忘れることなく、着実によい商品を世に送り出していくだろうといわれているKYMCOは、現在台湾国内において新車販売台数連続第1位をほこり、40%以上というシェア率を誇っている台湾NO1ブランドとなっています。